「戦後」が終わらない社会を。〜「平和」を伝える難しさ〜

カンボジアからこんにちは。

延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

 

突然ですが・・・

 

目の前にこれら2枚のカードが並べられたとしたら、あなたはどちらを選びますか?

 

 

当然ながら、この質問に「正解」はありません。

でも、おそらく、多くの人が「平和」と書かれたカードを選ぶのではないでしょうか?

 

 

にもかかわらず、この世界から「戦争」がなくならないのはなぜでしょうか?

 

 

これは、本記事でご紹介する書籍『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~』の冒頭部分を参考にしています。

 

・平和について考えている人

・平和のことを少しでも考えたことのある人

・世界をよくする活動に携わっている or 携わりたい人

・戦争や紛争が起こっている世の中に疑問を抱いている人

・メディアの報道に対して疑問を抱いている人

にはぜひ、読んでいただきたい1冊です。

 

戦後73年、平成最後の夏を迎える2018年。

「戦後」が終わらない社会にするために、なにができるのでしょうか。

 

「平和」を語るとき、なにを伝えたいのか?

国際協力のNGOで活動を始めてからというもの「伝える」という機会を望むようになりました。

また、ありがたいことに、そのようなチャンスをいただくことも増えてきました。

 

仕事として国際協力の支援現場に携わっている身としては、おそらく大多数の方々が思い浮かべるような状況を目の当たりにすることがあります。

あるいは、想像以上につらく、厳しい環境下での生活を強いられている人もいます。

 

 

世界を少しでも変えていくために

自分が他者に何かを伝えるとき、相手にどう感じてほしいのだろう?

自分の話を聞き終えたとき、相手にどんな想いを抱いてほしいのだろう?

どんな行動を起こしてほしいのだろう?

 

 

何より、自分は何を伝えたいのだろう?

 

 

そう自問したとき、わたしはやはり「平和」の側面を伝えたいという想いが上回りました。

 

 

世界で起こっている問題の凄惨さ。

自分の力だけではどうにもならない状況のなかで生きていくしかない人々の厳しさ。

今日を生き延びられるか、明日を迎えられるか、わからない生活を送る不安さ。

 

それらを伝えることの必要性ももちろん、理解しています。

 

 

ただ、世界を少しでもよくするという、希望や勇気、可能性。

どうせ「伝える」のであれば、わたしはこれらを伝えたい。

 

 

そんな折、ハフポストでの著者インタビュー記事を目にし、書籍の購入に至りました。

 

 

書籍のなかでも語られている「戦争プロパガンダ」について、「コミュニケーション」と「プレゼンテーション」の違いに関してなどは、インタビュー記事内である程度紹介されています。

まずはリンク先の記事を読んでみてください。

そのうえで、特に「戦争プロパガンダ」に関して、もう少し事例をもとに詳しく知りたいという方は、書籍も読んでみるのをおすすめします。

 

「戦争」と「平和」、伝えるとしたら?

「戦争」よりも「平和」を伝えることのほうが難易度が高いのです。

書籍のタイトル通りです。

 

その理由は、どこまでいっても言葉は「言葉によって」定義されているから。

 

 

これは書籍を読むと読まないとに関わらず、一度試していただきたいです。

「War」と「Peace」をキーワードにして、Googleの画像検索をしてみてください。

 

「War」で検索した場合、どのようなイメージが表示されますか?

逆に「Peace」をキーワードにした場合、検索結果はどのようになるでしょう?

 

この検索結果の違いも紹介しながら、筆者はこう述べます。

戦争には「絵になるもの」があって、ある程度イメージを共有できるが、平和には絵になるものが「ない」ため、たとえ「平和のイメージ」を持っていたとしても、それを他人と共有するための「ひとつのイメージ」に集約することは難しいということなのである。だからこそ、互いに「わかったつもり」になることは、大きな「ミスコミュニケーション」をうむ可能性が高い。

 

「平和」には万国、万人共通のひとつのイメージがないために、それを説明するための言葉が必要なのです。

つまり、定義が曖昧な言葉を人に伝えるときには、そのためにまた言葉が必要とされるのです。

 

 

「世界平和」と言ったとき、あなたはなにを思い浮かべるでしょうか?

 

 

多くの人に共通する傾向はあるかもしれませんが、正解・不正解のあるものではありません。

著者の言葉を借りるなら「平和のイメージを互いにすり合わせる作業」が必要となり、そのひと手間が「平和」を伝えにくいものにしているのです。

 

「平和」≠「反戦」

日本人にとっての平和とは「反戦」を意味している。広島・長崎の被爆者たちが訴えてきたことや、沖縄の元ひめゆり学徒が語り継いできたことも、「戦争は二度としない」という不戦の誓いであり、武力を「絶対悪」とするものであった。つまり、日本人には「平和=反戦」「戦争=絶対悪」との共通したイメージがあるということである。

「平和=反戦」という図式は日本において成立するものなのかもしれません。

これには賛否両論あると思います。しかし、これもまた「真」であるのではないでしょうか?

 

小学生のころから始まった「平和教育」を思い返してみても、入り口は広島や長崎での凄惨な過去をはじめ、様々ありました。

しかし、結論はいつも「戦争は二度度繰り返さない」だったように思います。

これも間違いであるはずはありません。

 

ただし、「紛争屋」を名乗る伊勢崎賢治氏の言葉やルワンダ内戦、イラク戦争などの事例を示しながら、国際的な視点に立った場合に「平和」が意味するところが必ずしも「反戦」ではないことを説いています。

 

100%同意できるかと聞かれると、理解はできますが”YES”と断言するのは難しいです。

しかし、世界の平和を考えるとき「平和」≠「反戦」であるという考えは見落としてはいけないものです。

 

「戦後」が「戦争前夜」にならないために

冒頭の「平和」と「戦争」と書かれたカードの話に戻ります。

 

大多数の人が「平和」を選ぶでしょう。

しかしながら、戦争が終わらない理由を「問い」に焦点を当てて説明しています。

そもそも「正」対「悪」の問いでは、ジレンマは発生しない。葛藤がある問いというのは、要するに「正」対「正」ということなのである。私たちが戦争と平和について考えるとき、この「正」対「正」の問いを見つけなければならない。なぜなら、「戦争」と「平和」が選択肢として与えられれば、ほとんどの人が「平和」を選択するにもかかわらず、それでも戦争がなくならないのは、この二つが「問い」にはなっていないからなのだ。

 

つまり、「戦争」をとるか「平和」をとるかという問い自体が、そもそも適当ではない可能性があるのです。

なぜなら、そのどちらにも「正しさ」が含まれているから。

 

まずはここでいう「正しさ」から理解する必要があるのかもしれません。

 

個人的には、「平和な世界」を思い浮かべたとき「戦争」というものは存在しません。

でもこれはあくまでも「わたしの思う平和」であって、世界中のすべての人が賛同してくれるかは正直、わかりません。

 

それでも「平和」を求め、他者に訴えていくことが必要です。

 

正義か平和か。正戦か反戦か。問われているのは、どこまでもジレンマを伴う「正」対「正」という正解のない問いだ。だからこそ、と改めて思う。できるだけ立場を決めず、ぎりぎりまで、問われるその瞬間まで、考え続けるしかないのだ。たとえ本来はそんなに簡単に決められることではないとしても、正解がない問いなのだとしても、私たちはいずれ選択しなくてはならない。

 

本書においても、「平和」を手にするために具体的な方法が明示されているわけではありません。

 

肝心なのは、悩み、考え続けること。

できるかぎりニュートラルな視点に立って、あらゆる立場からの情報に触れること。

 

一見、当たり前のように感じるような、でもものすごく大切なことを改めて教えてくれる1冊でした。


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