こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

昨日、久しぶりのブログ更新が【お知らせ】という形になり、大変申し訳ございませんでした。ここ最近は内省にかける時間がかなり多く、こちらで記事を書くまで追いつけていませんでした。

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共に国際協力に向き合う友人であり、NPO法人コンフロントワールドを立ち上げた原貫太さんと共同運営している有料マガジンにて、半強制的に(笑)アウトプットの機会があるというのも、ブログを更新できていなかった理由のひとつです。

特に「国際協力」については、マガジン『国際協力師たちの部屋』にてかなり深いところまで考え、文字にする機会をいただいています。

わたしのブログを読んでいただいている方で、国際協力に関心がある方や、将来的には海外で働きたい、NPO/NGOを立ち上げたい、という想いのある方にはぜひ、こちらもご購読いただきたいです。

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さて、今回はこのひと月ほど設けていた内観の時間を通して、改めて気づいたことを書いておきたいと思います。



これまで、家族や友人、あるいは講演会などで

「なぜ、そこまでして世界の問題に取り組むのですか?」

といった類の質問を受けた時、いつもこう答えていました。

「世界を平和にしたいと本気で想っているし、それを実現すると決めたから」

現状を知った上で、それを解決した先にある世界に対する「希望」が大きな原動力になっている、と自分で理解していました。

それは今でも変わっていませんし、これからも変わることはないでしょう。

しかし、「希望」を持つに至るプロセスにおいて、最初に自分の心に沸き起こるのは「悲しさ」かもしれない、ということに気づいたのです。

わたしが世界で起こっている問題を最初に意識し始めたのは、小学3年生のとき。道徳の授業でサッカーボールにまつわる児童労働の問題を聞いたときでした。

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当時のわたしは、学校の休み時間や放課後に大好きだったサッカーができなくなるほどの大きな衝撃を受けました。

これも、今になって言い換えてみたら、ただただ、ひたすらに、ものすごく悲しかったんです。

「自分が遊んでいる大好きなサッカーボールの『裏側』では、血や汗にまみれた生活を送っている子どもたちがいる」

「自分が笑顔を浮かべているまさに今この瞬間には、世界のどこかで涙を流している人がいる」

そのことが、どうしようもなく悲しかった。

今だってそう。

2017年4月、大学卒業と同時に国際協力NGOに就職し、カンボジアに駐在しています。現場で目にすること、感じるものは必ずしも「きらきら」とした「希望」に満ち溢れたものばかりではありません。

もちろん、子ども達と戯れたり、事業対象者の生活の変化を感じることができたりと、世界平和への希望を与えてくれる出来事もたくさんあります。

でも、事実として、小学校に通えない子ども達もたくさんいます。

その日を生き延びるための食糧を買うために必要なお金を稼ぐべく、家族と離れて暮らすおっちゃんもたくさんいます。

やっぱり悲しいです。

ニュースを見ていても、そう。

毎日のように、世界のどこかでは地雷によって命を落とす人、怪我をしてしまう人がいます。謂れのない紛争に巻き込まれ、安心して暮らすことのできないたくさんの人が、今という同じ瞬間を生きています。

本当に悲しい。

でも、悲しむだけじゃ世界は変わらない。

世界平和を阻む様々な要因に関心を持って、行動を起こしている人の中には「怒り/憤り」が原動力だと言う方もたくさんいらっしゃいます。

でも、怒るだけ、憤るだけじゃ世界は変わらない。

わたしの場合は、まず最初に出てくる「悲しみ」という感情が湧いてきて、そこから「何とかしよう」に変わります。

さらに、その問題を解決した先にある未来を想像することで「わくわく」に変換します。

おそらく、そのスピードが早く、また、その頻度が高いんだと思います。

ただ、それだけのこと。

そんな自分も受け入れてあげよう。