2017年10月

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

先週末から、日本は台風や選挙で様々な影響が各方面に出ていることと思います。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

いきなりですが、質問です。

あなたは友達が何人いますか?

ネットワークが進化した今の時代、Facebookの「友達」やTwitterのフォロワーなど、数年前ではかんがえれないほど人との繋がり方は多様化しています。

そこで考えていただきたいのです。

あなたの「友達」は何を以って友達と呼べますか?

転じて、あなたの「身の回り」はどこまでを指すのでしょうか?

あなたが「社会」「世界」と捉えている範囲は、どこまででしょうか?

カンボジアに滞在して、はや半年が経とうとしています。

日本で起こっている選挙キャンペーンや台風被害に対するわたし自身の反応が、これまでとは大きく違っていることに気付いてしまいました。恥ずかしい話ですが、今回の選挙にはまったくと言っていいほど、ついていけてませんでした。というか、キャッチアップしようという気持ちがなかったです。

そんな自分に対してショックでした。

ああ、こうして『無関心』ができあがっていくんだろうな、と。

 

友達の数は150人まで


有名な仮説のひとつに、ダンバー数と呼ばれるものがあります。1990年代に、イギリスの人類学者ロビン・ダンバー氏によって提唱されました。

これにによると、1人の人間が関係を結べるのは150人程度だそうです。この数を超えてしまうと、分裂や収集がつかなくなってしまうとか。

「世界」や「身の回り」の範囲を考える上で、参考になりますし面白い説です。

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明らかに変わったこと


日本に住んでいた頃からテレビはしょうもなくて、ほとんど見ていませんでした。主な情報収集のリソースはインターネット。カンボジアに来る前は情報に触れる割合として、日本:海外で5:5ぐらいでした。片足は日本に、もう片方の足は海外に着いている感じです。

ところが、今も情報源がインターネットであることには変わらないのですが、キャッチする情報の割合は明らかに変わっています。

日本:海外=1:9ぐらい。

「ボタンひとつで世界の裏側の情報が手に入る今の時代に、日本の問題にだけ目を向けていて良いんでしょうか」

なんて普段は言っているわたしが、日本で起こっていることに対して明らかに関心が薄れています。

 

「疎遠→無関心」になる危機感


これ、いつもは世界の「裏側」に関心を持つことを呼びかけている自分にとって、かなり危ない状況です。

日本に住んでいる方々がアジアやアフリカなど、海の向こうで起こっている悲惨な出来事になかなか目を向けられないのと同じように、

カンボジアに住んでいるわたしは今、カンボジアやミャンマー関連のニュースばかりに目が行き、日本で起こっている出来事に対して疎遠になっています。

軸足として日本に置いていたはずの片足が、浮き足立っている状態。

日本を軸に、地球の裏側に広がっていたはずのわたしの「世界」が、カンボジアとその近隣諸国に縮こまっています。

まだ、つま先が着いているだけ、「疎遠」で留まっているだけましです。

でも、これがさらに進んで完全に足が浮いてしまったら、無関心になってしまったらと思うと、非常に良くない状況です。

 

「問題」に対する意識


以前はこう思っていました。

「問題」は人々に認識されなければ、「問題」にさえなり得ない。

でも今の状況に陥ってみて、こう思います。

 

「問題」は、それを「感じる」ことから始まる。

 

正直、今はカンボジアにいるので日本で起こっていることを感じるのは難しいです。あくまでも想像するにすぎません。

一方で、カンボジアで起こっている問題は生活の中で痛いほど感じます。貧困や地雷のこと、政治的なややこしいこと。

問題だと「感じる」から、なぜそれが起こっているのか知ろうとするし、どうすれば解決に向かえるだろうと頭を働かせる。

これは今後の伝え方にも響いていくる気がするので、もう少し考えてみよう。

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

今更ながら、プロブロガーとして活躍をされているイケダハヤト氏の著作『武器としての書く技術 (中経出版)』を読みました。

結論から言うと、学ぶところが本当に多い1冊です。改めて「発信」することの意義や、これからの方向性が見えてきたような気がします。

 

購入に至った背景


以前よりお伝えしている通り、10月に入ってから友人の原貫太さんと有料マガジンの運営を始めました。周りには「国際協力」に関心がある人もそれなりにいて、仕事として関わりたいという人もちらほら。

しかし、自分自身が学生の時もそうでしたが、他の業界に比べて情報量が少ないんです。特に、同世代で活動をされている方の「現場からの声」がなかなか拾えない。そこに風穴をあけたいという想いもあって、マガジンの執筆に取組みだしました。

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上述の通り、このブログとは違って有料なんです。お金が発生しています。そこに対する責任感もありますし、個人的にももっと文章力をつけたいという想いが強くなってきました。

今の時代、ライティングに関するノウハウなんて、ネットで検索すれば山ほどヒットします。しかし、それらは断片的な情報で、それらを収集して自分のものとして再構築していくのが面倒だったので、今回は効率性を求めてこの本を買うことにしました。

2013年出版と、決して最新のものとは言えませんがこの本を選んで大正解でした。

 

婉曲表現を避ける


あなたの言いたいことは思ったほど伝わらない。表現はちょっと強めくらいでちょうどいいのです。心からそう思うのなら、言い切っちゃいましょう。言い切れないようなことは、言う価値もありません。


わたしも、言い切ることにはある種の怖さを感じていました。果たして、これが正しいのだろうかと。その結果、客観的に見たら当たり障りのない、何の変哲もない文章しか書けなくなっています。ピークのない山を歩いているような、登っているのか下っているのかも分からないような感じ。

これを読んで、受取手がどのように感じるかは、向こうが判断すれば良いことであって、自分は自分の意見を書けば良いのだなと腹を括ることができました。

それから、これは文章でも確かにそうですが、人と話すときにも通じるなあと思って読んでいました。特に、ミーティングの場や英語で話す時。

「〜だと思いますけどね」「〜な気がします」

Maybe, 〜〜〜. / 〜〜〜, but I’m not sure.

これ、完全に逃げているなと。自分の言葉に対する責任を放棄しているように思えてきました。

すべての局面でこれらの表現を避けるのは難しいかもしれませんが、極力、伝えたいことはストレートに伝えていこう。

 

質量転化の話


ひたすら量を書くことの大切さも、この本著の中で語られています。

とにかく量を書いて、「発表」せよと。

今の自分に圧倒的に足りていないのはアウトプットの量。生活や仕事を通して毎日インプットをしているにもかかわらず、アウトプットとのバランスがかなり悪い。

質量転化の法則なんかもありますが、量だけを追い求めても意味が無いのは感覚的にわかります。何も考えずに量を追うのは時間の無駄なような気がして。

最終的には質も、量も必要になってくるのですが、わたしのような凡人は、まずアウトプットの量を増やしていくのが目標への最短経路なのでしょう。

 

「書く」ことで広がる世界


書くこと・アウトプットし続けることで、新たなコミュニケーションが生まれることが、イケダハヤト氏の実体験をもとに説かれています。これは、わたしにとって非常に明るい話です。

と言うのも、カンボジアに住んでいると物理的に、日本人と出会う機会は極端なほど減少します。これは、「世界平和の実現」というヴィジョンを達成する上では大きな損失です。世界平和なんて、わたし1人で、あるいはわたしたちの組織1つで達成できるほど簡単なものではありません。

また、個人的にも数年後には面白いことをしたいなあ〜〜なんて考えているので、仲間の存在は必須です。

インターネットが普及し、SNSで当たり前のように世界中の人と繋がることができる今の世の中。カンボジアに滞在しているという状況とこれらのツールをうまく活用しながら、人との繋がりを構築していきたいものです。

 

まとめ


さすが、プロが書く文章だけあってすらすらと頭に入りながら読めてしまいます。今のところ、ブログで本気で稼いでいこうとは思っていないので、第4章は読みとばしました。(その気になった時に、また読み返すことになるでしょう)

とにかく、これから文章を書くことを楽しみにしてくれる、そして本を読むということすらも楽しみにしてくれる1冊でした!

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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

村落開発支援プロジェクトの対象地域のひとつ、ロカブッス村での出来事。

村にある小学校の前の土地がかなり余っているので、そこをうまく活用できないかと村の人達と半年ほど前から話し合ってきました。

その結果、今後のプランのためにもまずはため池を掘ろうということになったのです。
小学校の土地は行政に属するので、ため池を掘る前に区長さんからの許可証が必要です。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka
ロカブッス村の小学校 photo by Yuki Nobuoka

皆さんのイメージがどうか分かりませんが、区長さんって結構忙しいみたいです。

9月から何度かアポを取っていたんですが、直前になって別のミーティングが入ったりして、ことごとくキャンセルされてしまって。

やっとのことでスケジュールが合い、区長さんと面談をすることができたのが、10月5日のこと。

「あそこは地面の下に、大きな岩がゴロゴロとしているから、ため池を掘るのも大変かもね〜〜」

なんて笑いながら、村長さんと共に説明をしたわたしたちの計画を聞いてくれました。そして、あっさりと土地利用の許可証を発行してくれたのです。

 

そして、面談の最後になって、こう言われました。

「あそこって、まだ地雷埋まってるんじゃなかったっけ?」

 

地雷原とは


ロカブッス村では、人々の生活圏内の地雷撤去は2010年に完了しています。それを受けて、2011年にわたし達がこの村での事業を開始しました。

ここで注意しなくちゃいけないのは「地雷がなくなった」という判定は非常に難しいということ。

より、実際に即した表現にするならば、「地雷原として指定されている箇所の地雷撤去は終わった」と言えます。その後に「しかしながら、地雷原として指定されていない箇所に地雷がないとは断言できない」という言葉が続きます。

不発弾撤去においても同様のことが言えるでしょう。

それぐらい、地雷や不発弾の撤去は複雑で困難なものなのです。

 

ロカブッス村小学校の前の土地は、休み時間や放課後になると運動場として、子ども達が毎日のようにサッカー、縄跳びなどをして遊んでいます。しかし、それは校舎近くのみ。少し道の方に行くと草が伸び放題の茂みです。

ここに、地雷が埋まっているかもしれないという話なのです。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka
校庭で遊ぶ子ども達 photo by Yuki Nobuoka

 

シンプルに、こわい


以前からため池を掘る土地の視察として、村長さんと一緒にわたしたちも何度かここを歩いていました。その時は、地雷が埋まっている可能性があるだなんて考えもしなかったです。しかし、改めて考えると、そこは「人々の生活圏」とは呼べるような場所ではありません。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka
ため池掘削予定地 photo by Yuki Nobuoka

区長さんからのひと言で、わたしはカンボジアに来てから初めてこわいと感じました。

これまでに、何度か地雷原に視察で行かせていただいたことはあるのですが、地雷撤去団体が活動をしている場所を訪れるというものでした。そのため「ここは地雷原だ」と事前に分かった状態での訪問です。

歩くのも、すでに地雷が埋められていないことが確認されている「安全」な通路のみ。地雷原を示す看板が目と鼻の先にあるにもかかわらず、その線さえ超えなければ地雷事故にあうことはありません。

でも今回は、すでに何度か歩いたことのあるエリア。しかも、子ども達が遊んでいる運動場から数十メートル先のこと。区長さんのひと言で一気に血の気が引いた感覚になりました。

 

もしも、あの時のあの一歩が、地雷の上を踏んでいたら。

 

地雷撤去団体の協力を得て


今日、わたしたちが提携をしている現地の地雷撤去団体MAG(Mines Advisory Group)のスタッフに来てもらい、対象エリアのGPS情報を取得してもらいました。その情報を過去の撤去活動実績に照らし合わせてもらうのです。作業自体はすぐに終わり、照合も迅速に対応してもらいました。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka

結果として、ここも1999年に当団体が撤去作業を完了していることが分かり、一件落着。

安心してため池を掘ることもできるし、子ども達が遊ぶこともできます。

これで万が一、地雷撤去作業の完了が認められなかったら、MAGのスタッフらによってここからさらに調査が行われます。他の地域での作業もあり、撤去作業の完了に至るまでには2、3年かかるとも言われていたので安心しました。

 

日本で生活をしているとあまり想像しにくいかもしれませんが、もしもあなたの通学路、通勤路に地雷が埋まっているかもしれないと言われたら、どう感じますか。

カンボジアの特に農村地域では、そのリスクを分かっていながら農作物生産のための土地を耕すために、あるいは木材を手に入れるために地雷原に足を踏み入れざるを得ない状況にあります。

そうでもしないと、明日を生きるための収入が得られないから。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka

カンボジアにおける地雷事故の件数や、その被害者数は年々減少傾向にあります。撤去作業の拡大や、地雷に関する知識の普及などが徐々に結果を出しているからです。

しかし、400〜600万個埋められていると言われるカンボジアの地雷がゼロになるには、まだまだ時間がかかります。

世界中の戦闘地域では、未だに新たな地雷が使用されています。

一度埋められると、誰かが踏んで爆発するか、撤去作業によって除去されるまで、人々の脅威となり続ける地雷を、できるだけ早く無くさないと。そして、これ以上増えないようにしないと。

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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

今週もフィールド三昧でした。最近、平日は基本的にフィールドに行っています。月曜日の夕方、あるいは火曜日の朝イチで街を出発して、車で約2時間。カンボジア西部のカムリエン郡というタイ国境付近で、わたしたちはプロジェクトを実施しています。

今日、お伝えするのは村落開発支援プロジェクトの対象地域のひとつ、ロカブッス村です。

村落開発支援プロジェクトの背景や目的は以前の記事を。

[kanren postied="69"]

水曜日、木曜日と、村長さんはじめ、村のリーダー的な存在の人たちとミーティングをしてきました。

 

7月に村人たちと決めた、村のヴィジョン


「自立と自治」を促進するために、村では毎月1回、自治会を開催しています。今年の7月に行なった自治会では、村のヴィジョンが決定しました。

と簡単に言ったものの、そこに至るまでには何度も何度もリーダーたちとワークショップや話し合いをしてきました。

わたしたちの考える「ヴィジョン」と、リーダーたちが思いつくそれは少し次元の異なる話で。手段と目的の認識が違っていたというか。

紆余曲折ありながらも、リーダーたちとの話し合いの中で、何とか村人たちにも発表できるようなものができあがったので、7月の自治会の際に議題にあげたのです。

「コミュニティの中の家族が、最低限の生活を送れるようになる」

村の人たちからも同意を得られ、ロカブッス村が今後目指していく方向性が明らかになったのです。

新卒NGO職員がゆく。photo by Yuki Nobuoka
ロカブッス村 リーダーたちとのミーティング風景

 

実現に向けた今後の活動


ヴィジョンが決まると何が良いかって、色々あるんですが。

一番は、これから実施していく活動が、やるに値するかを決める判断基準、判断の軸になることです。組織にしろ、個人にしろ、ヴィジョンがはっきりしていると、あらゆる行動選択における判断がしやすくなります。

最終の目的地が決まっているのだから、そこにたどり着くために適切かどうかを、下に降りていって考えることができるのです。

さて、ヴィジョンは決めただけでは意味がありません。

そこから具体的な活動におろしていくためのプロセスとして、ミーティングを実施したのです。



具体的な内容はここでは省きますが、それぞれがアイディアを出し合って、かなり白熱した議論になりました。カンボジアの人たち、とまとめるのは微妙なところがありますが、割と大勢の前だと自分の意見を言うのが得意じゃないような気がしています。

 

これはポル・ポト時代の名残でもあるのかもしれません。

当時、反ポル・ポト派を掃討するために、密告制度が採られていたとかで、あまりオープンに想いや考えを言えなくなっているのかもしれません。

ただ、顔の知れた関係で少人数のグループだと、ものすごくよく喋ります。いつの間にか喧嘩になっていやしないかと、ひやひやするほどの迫力です。笑

この2日間でひとまず、形になりそうなアイディアがまとまったので、良しとしよう。

 

大事なのはバランス


ミーティングに参加していて改めて考えたのはこのこと。

わたしたちのプランを押し付ける形にならないように。

でも、アイディアを選択肢のひとつとして提示する必要もある。

ただし、わたしたちのアイディアが無批判に歓迎されて、議論も無く採用されてしまっては意味がない。

わたしたちが目指しているのは、村の「自立と自治」だから。

村の人たちは、わたしたちの「操り人形」ではないのだから。

そうは言っても、知らないことは考えようもありません。皆さんも、きっとそうでしょう。

例えば、わたしの苦手なことを克服するためのアクションプランを一緒に考えてくださいとお願いしたとしても、わたしのことをほとんど知らないあなたはアイディアを思いつくことは困難なはず。

そうなった時、どこまでこちら側から情報、アイディアを提示するか。

ここの見極めが非常に難しくもあり、面白いところでもあります。

村の運営を最終的に行なっていくのは、やはり村に住んでいる人たち。

そこを見失わないようにバランスをとりながら、今後の活動を展開していきます。

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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

今日は、大好きな写真について。

最近、空を撮るのが好きになったって話。

 

最初に手にしたのは


記憶にある限り、最初にカメラを手にしたのは小学校1、2年生の頃。夏休みの宿題で自由研究みたいな何かがあって、その実験を記録したのが最初だったと思います。

当時は使い捨ての「写ルンです」以外にカメラがあるなんて知らなかったなあ。。

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家族で1台、普通のフィルムカメラを持っていたのですが、末っ子のわたしには触らせてもらえず。案の定、小学3年生の夏休みに、家のカメラを持って、宿題のために博物館に行った時に、落として壊してしまいました。

あの時の「自分、やってもうたな感」は、未だに自分史のトップに君臨し続けています。

 

時は流れて


そんなわたしも大学生に入る頃に、初めて自分のカメラを買いました。家電量販店に行って、店員さんにおすすめされたコンデジです。これほど写真にはまるとは思いもしませんでしたし、当時はそれほど興味もなかったのでなんとなく買ったのを覚えています。

撮っていたのは、もっぱら「風景」でした。というよりも、「人をフレームに入れたくなかった」という方がしっくりきます。

なぜだか、人を写真に入れたくなかったのです。理由は自分でもよく分かりません。

国内の観光地に行っても、タイやカンボジアをうろうろしていても、カメラを構える時はできるだけ人が写らない場所を探していました。

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バンコク ワット・ポーの有名な寝釈迦仏
写真に日付入れてるあたり。。笑


 

世界青年の船に参加して


以前の記事でさらっと書いていますが、内閣府主催の2016年度 青年国際交流事業にわたしも参加しました。日本中、そして世界各国から集まった「できる人」達を前に1ヶ月間、自分の中身の薄さと延々向き合うこととなったほろ苦い経験です。

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英語もそこそこだったわたしは、ディスカッションにも積極的にコミットすることができず。たどり着いたのが、「自称カメラマン」でした。アクティビティに参加するよりも、かなり引いた視点から皆の表情とか、その場の雰囲気とかを見ている方が楽しくなってしまいました。

ファインダーの先に、たくさんの笑顔が溢れていたり。友人との別れを惜しむ時のなんとも言えない表情が見えたり。カメラをツールに、コミュニケーションがとれる感覚にのめり込んでしまったのです。。

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友人との別れを惜しむ「世界青年の船」参加者

 

そして、今


https://www.instagram.com/p/BaAUrd7HwG2/


Yuki Nobuoka (@yuki_nobuoka) • Instagram photos and videos

空を撮ることにはまりつつあります。

「空を撮る人の心理」なんかで検索して出てくるような、疲れや心の病みが原因ではありませんのでご安心を。笑

 

シンプルに、空って見てて面白いですよね。雲なんか特に。いつまででも見ていられます。いつ頃からか、生まれ変わるなら雲になりたい、と思うようになりました。

「太陽のような人」というよりも、雲が良い。強すぎる太陽の熱や光を調整するのは雲だし、生命に必要な水を雨という形で降らせることができるのも雲。

もしも、それだけが空に浮かんでいたら、あまり意味がないかもしれないけれど。太陽が、青空があるから雲も映える。そんな存在になりたいなあと。自由気ままにのんびりと。

同じ空は二度と見ることができない。1分1秒で形が変わっていく空は、撮っていて面白いんです。1秒毎にまるで別の表情を見せてくれるというか。

 

あと、もう1つ。

わたしのことを、本当の息子のように面倒を見てくれるカンボジア人スタッフと先日、晩ご飯を食べに行った時のこと。

日本にいる家族や友人から離れて、カンボジアで1人暮らしをしているわたしを案じて、話し出したのです。



50歳手前の彼は、ポル・ポト時代を生き延びた1人。子どもの頃は難民として、タイのキャンプで過ごしていたそうです。

そんな彼の話を聞いて思い出したのが、ウガンダにいる「家族」の言葉。



どこにいても、何をしていても、わたしたちは同じ空の下で繋がっている。

空を見上げる度に、これまで出会ったたくさんの笑顔が目に見えるように思い出されるんです。

 

そして、こう思うんです。

「皆の笑顔で、この世界を満たしたい」

空がわたしたちを繋いでくれている。皆の笑顔がわたしに勇気をくれる。

だから、わたしは空を撮るようになったのです。

あなたは最近、空を見上げていますか?

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