2017年08月

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

今週、村落開発支援プロジェクトを実施しているロカブッス村にて、鶏・アヒルの飼育技術訓練を実施しました。

昨年度から家畜銀行という形で、ロカブッス村の人たちの収入源を多様化することを目標に、家畜の飼育技術を伝えています。すでに、牛とヤギの提供は住んでおり、村の人たちが育てています。

そして、今年度は鶏とアヒルの銀行を開始するということで、2017年6月6日〜9日の4日間に渡るトレーニングを終了しています。これは、カンターパートの現地NGO CRDNASEのスタッフから、ロカブッス村の住民に技術を提供するというものです。

村の中で家畜飼育の専門家を育成するという目的で実施し、座学からフィールドトリップまで盛りだくさんの内容でした。6月のトレーニング内容については、4月から8月までカンボジア事務所に来てくれていたインターン生が、テラ・ルネッサンス公式ブログに詳細を書いてくれていますので、ぜひご覧ください。

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さて、今回の技術訓練は、6月に研修を受けたロカブッス村の家畜飼育専門家による、村人たちへのトレーニングでした。CRDNASEの先生たちがサポートしつつ、6月に学んだことを存分に、村人たちに伝えてくれました。

1日目は、主に知識の提供。鶏の飼育に必要なものや、餌についてなど、参加者も興味津々に聞いていました。

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

2日目は、実践を交えて、みんなでEM(有用微生物群)を活用した発酵飼料の作り方を学びます。

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

カンボジアにある植物などを使って作られるEM飼料を家畜に与えることで、病気にかかりにくくなったり、育ちが早くなったりするようです。

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

自然にあるもので作る飼料を使うことで、一般的に販売されている化学的な「薬」による家畜への悪影響を防ぐことができたり、それを購入するコストを削減できたりとメリットがたくさんあります。

鶏やアヒル自体は、カンボジアの農村地域でも比較的よく飼育されています。しかし、病気にかかるリスクが高いのです。

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

鶏を飼っていた村人の中には、そろそろ売れるぐらいに成長したかと思っていた鶏たちが、一夜にしてすべて病気で死んでしまった、と話してくれた人もいます。

技術を伝え、実践することで罹病率を低下させ、鶏やアヒルの飼育が村人たちの収入源のひとつとして確立されるよう、今後もサポートをしていきます。

新卒NGO職員がゆく。 photo by Yuki Nobuoka

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日々の写真は、こちらをどうぞ。

[blogcard url="https://www.instagram.com/yuki_nobuoka/"]


こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

8月も終わりに近づいてきましたね。。大学生は夏休みも後半に入ったところでしょうか。

長期休みを活用して旅行やインターンシップなどで、海外に行かれている方も数多くいるかと思います。

私も大学2年生の冬休みに、初の海外渡航としてフィリピンで2週間ほど滞在して以降、残りの学生生活における長期休みのほとんどを、海外で過ごしてきました。

特に、初めて行く国、初めて訪れる街に到着した時の高揚感は、言葉にするのが難しいほどたまらないものです。

 

それは今でも変わっておらず。。かれこれ、カンボジア滞在歴も計7ヶ月ほどになったのですが、バッタンバンという街の中でも、いつもと違う道を通ってみたり、いつもは行かないエリアに行ってみたりする時は、胸の高鳴りを感じます。

「視野を広げる」「友人をつくる」「海外経験を積む」など、海外渡航の目的は人それぞれでしょう。もちろん、それはとっても良いことだと思いますし、できれば若いうちに、できるだけ早い段階で外の世界に触れておくのは、将来何をするにも非常に大切な経験になると思います。

私は初海外が20歳と決して早い方ではなく、もっと若いうちから海外に行っておけばよかったと思うこともあります。(結局はタイミングの問題なので、後悔はしていませんが)

学生時代から日本と海外を行き来し、今もカンボジアに住居を持って働いている、そんな私が大切にしていることことがあります。

 

生きて帰ること


たったひとつ、これだけです。

様々な環境の違いがあるので一概には言えませんが、おそらくこのブログを読んでくださっている方の大半が、日本で育ち、家族や友人の多くが日本にいる方でしょう。

いわば、あなたの”home”、「帰る場所」は日本にあると言えるでしょう。

 

ならば、そこには何としてでも生きて帰ってほしいのです。

 

「何を大袈裟な」と思われるかもしれません。

でも、このご時世、いつどこで命に関わる危険が襲ってくるかわかりません。

まさかこんなところで、と思うような場所でテロ事件が発生します。

昨年11月にコロンビアのメデジンで起こった、日本人旅行者が殺害された事件も記憶に新しいでしょう。

 

脅すわけではなく、海外に行くということは、それほどのリスクがあるという意識を常に持っていてほしいのです。

じゃあ、日本は安全かと言われると、そうも言い切れません。日本にいても通常犯罪や自然災害などのリスクがあるのも事実です。

ただし、日本にいては向き合う必要のないようなリスクに直面する可能性が、海外に行くとつきまとってきます。言語の違いや交通手段の安全性、治安などのあらゆる面において、日本と同じ感覚で旅行に出ると、本当に痛い目に遭います。

 

脅すつもりはありません


「旅に出るな」とは言いません。

「海外に行くな」とも言いません。

メディアでは伝わりきらないものを自分の五感で感じること、現地で友人をつくることは、何にも変え難い経験となります。

海外に関心があったり、将来は世界を舞台に活躍したいと思っているような人が、海外旅行に潜むリスクを考えすぎて日本に閉じこもってしまう方が、長い目で見て大きなリスクだとも感じます。

ただ、もしもあなたの家族や友人が日本にいるのなら、必ず生きて帰ってほしいだけなのです。

 

私の人生に大きな影響を与えた方の1人に、ヨナミネさんという方がいます。60代(おそらく)の男性で、世界を旅している方です。

2014年3月、タイのバンコクを1人で歩いていた時、その方に出会いました。チェンマイ行きの夜行列車に乗るため、バンコクのファランポーン駅へ行こうとしていたのですが、どのバスに乗れば良いか分からずバス停でうろうろしていたところ、突然話しかけられたのです。

彼のおかげで無事に駅に着き、列車が出発するまでの間、色々なお話をしていました。

その中で、このようなことを言われたのです。

「私はね、もう日本に帰る必要がなくなったから。日本に置いてきたものは何もないから、こうして世界をまわっているんだよ。あなたはまだ若いんだから、親御さんもお友達も日本で待っているでしょう?なら、何があっても日本に帰るんだよ。

その後、ヨナミネさんとは少しだけ連絡を取り合っていたのですが、ここ3年ほど音信不通です。お互い、海外にいる期間が長く連絡先が分からなくなってしまいました。この記事が、彼にも届くと良いなあと思いつつ。

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チェンマイ行きの列車を見送ってくれたヨナミネさん
七色に染まった髪を束ねた後ろ姿を、今でも鮮明に覚えている

 

先週、一時帰国した際、家族や友人と顔を合わせた時に、ふとこの言葉を思い出したのです。

自分としては、ただ、普通に帰っただけなのに。生きて帰っただけなのに。

これだけ喜んでくれる人が日本にいる。

この人達がいる限り、絶対に生きて日本に帰らなければならない。

改めて、そう思いました。

 

あなたに会いたい人がいる。

あなたを待っている人がいる。

財布がなくなっても構いません。

パスポートがなくなっても構いません。

代わりは、いくらでもききます。

ただ、命だけは、あなたという存在だけは、何にも変え難いのです。

 

今、海外旅行をしている方、これから海外へ行く予定がある方は、ぜひこのことを、いま一度意識してみてください。

そして必ず、生きて帰ってくださいね。

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


 


一時帰国がいよいよ今週に迫っており、カンボジアでやり残しがないようになんとかしなければと週末を過ごしています。


 


さて、そんな週末に気分転換に少しAmazonを眺めていると、読みたい本が色々と出てきたのでまとめておこうと思います。


 


とりあえず、列挙してみました。


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資本主義・グローバリゼーション・貧困


この辺りが最近、すごく気になっているところです。


これはカンボジアに来る前から関心のあった分野ではありますが、現場で実情を体感して改めて、もっと勉強したいと思うようになりました。


資本主義やグローバリゼーションそのものを否定する気はさらさらないのですが、それらによって大変な状況に追い込まれている人々が世界の大半を占めるわけで。


それらの流れを上手くてこ入れして、問題の解決に向かえるのではないかと。


 


「支援」を必要としている人がいるのは事実だと思います。


しかし、それだけでは世界で起こっている問題を根本的に解決することは不可能です。


より大きなインパクトを、より大きな社会のうねりを創り出すためには、より多くの人が、お金が動いているところにもアプローチをかけていかなければ。


 


自分としては、将来的にこの辺りに関わっているような気がしています。


 


 


そのためにも、知識も経験ももっと積み上げていきたいものです。


 


つまり、一生、勉強です。


[kanren postid="18"]

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


現在、認定NPO法人テラ・ルネッサンスはカンボジアに事務所を2つ構えています。

バッタンバン市内のメインオフィスと、活動を実施しているカムリエン郡にあるフィールドオフィスです。


ここ最近は、平日のほとんどをフィールドで過ごしており、宿泊部屋もあるフィールド事務所で寝泊りをし、金曜日に街に帰って来ることがほとんどです。


 


モニタリング調査のために対象者のお家を訪問しても、仕事に行って誰もいなかったり。


雨が降ったせいで道が悪く、目的地の村までたどり着けなかったり。


とにかく、フィールドでは想定外のことが起きるのが当たり前なので、ハプニングも想定しながら、ある程度柔軟に動けるように予定を立てていきます。


そんなフィールド事務所では、翌日のスケジュール共有を主な目的として、大抵は晩ご飯を食べた後に終礼を行なっています。


昨日の晩も、カンボジア人スタッフ6人とわたしで終礼をしたのですが、それぞれの想いが止まらなくなり、2時間弱ほどかけて話をしました。


 


4月からここまで、駆け抜けるように動いてきたのですが、自分自身の役割や立ち位置について、仲間と話をすることで落ち着いて考えられる良い時間となりました。


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フィールド事務所にて カンボジア人スタッフらと


 


異文化の人と働く


これは海外の現場で働く者の醍醐味でもあります。(団体によっては日本人だけで現場事業を回しているところもあるのでしょうか、、)


日本国内の企業や団体においても、海外スタッフがいるところはあるかと思いますが、あくまでもフィールドは日本になります。いわば、ホームです。


しかし、カンボジアに来ると、あえて言うならアウェイになります。


 


「郷に入れば郷に従え」という言葉があるように、いくら日本のNGOだとは言え、現地の人と働く上では、その地の文化や習慣などをリスペクトし、大切にしていくのは当然です。


 


ただ、外部者だからこそ見えることや、持ち合わせている知識・スキルもあるわけで、その辺りを押し付けがましくない程度に、どこまで提示して擦り合わせていけるかのバランスを取るのが難しくもあり、楽しいポイントでもあります。


 


「カンボジアの文化だから」


詳しく書くことはしませんが、カンボジア人スタッフの話を聴いていて、仕事をする上で何か問題があり、解決に向けたアイディアを提示すると、しばしば言われるのがこの言葉です。


 


「それも良いと思うけれども、カンボジアの文化はこうだから」


 


それも踏まえて、何か改善に向かうための策を一緒に考えていこうとするのですが、「文化」という厚い壁を目の前に、議論が進まないことも少なくありません。


そこで引くのか、あるいはこちらが思う改善策をさらに提示するのか、バランスが難しいところです。


同時に、現地の人と働く楽しさもここにあると感じています。


 


日本人スタッフとして


現地事務所の運営とプロジェクトの運営は類似点が多いような気がします。


わたしはあくまでも「外から来た人間」です。


日本で生まれ育ったわたしが、カンボジア人とまったく同等のバックグラウンドを有することはこの先も不可能でしょう。


プロジェクトと同じく、最終的には現地の課題を、現地の人達が解決できる状態が好ましいし、そこを目指してスタッフ達と関わっていくべきだと、わたしは思います。


そこで、日本人スタッフとしてカンボジアに来ている自分にできることはなんでしょう。


 


これもプロジェクト実施と同じく、スタッフ1人ひとりのオーナーシップを高めることであったり、それぞれが持っている力を発揮できるような労働環境を整えていくことであったりすると思います。


 


要するに、「誰かの事業」「誰かの事務所」ではなく、プロジェクトや事務所の運営を各スタッフが「自分ごと化」していく仕掛けづくり。


それから、個性を引き出して、うまく掛け合わせていくこと。


 


そのためには、やはり地の文化・習慣へのリスペクトも、新たな視点・方法を取り入れることも、どちらも重要になってきます。


加えて、まずは1人ひとりがどのような想いで業務にあたっているのかを、もっともっと知ること。


 


終礼の中では、全員が口を揃えて「この3ヶ月ほどは本当にやることが多くて、ゆっくり時間をとってミーティングをする暇さえ無かった」と言っていました。


でも、ひと段落しつつある今はスタッフ間のコミュニケーションにも時間を取ることができそうです。というか、取らなければいけないです。


その辺りをうまくリードするのも、自分の立ち位置だからこそできることの1つです。


 


 


日々の業務に対する視座を少し上げて、自分も含め1人ひとりのコンディションやモチベーションにも気を配りつつ、バランスを調整していくことが今の自分の役割なのかもしれないなあと思います。


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


 


今週、久しぶりに調査をするためにフィールドに行ってきました。


ここ最近、フィールドには毎週のように行っているのですが、プロジェクトの活動を実施することがメインで、調査にはあまり時間を取れずにいました。


先日、ひと休み宣言をしたばっかりなのですが今回の調査を踏まえて、なんだか、長いトンネルの向こう側から光が差してきたような気がするので、書いておこうかと思います。


 


行ったのは、村落開発支援プロジェクトの対象地域のひとつ、プレア・プット村。


(この地域での活動はこちらでも紹介しています)

[kanren postid="45"]


 


結論から言うと、当たり前のことに改めて気付かされたのです。


 


調査用紙にない情報


今回は、対象地域における各世帯の家族構成や家計状況など、基本情報を集めるための調査でした。ある程度質問用紙の項目に沿ってインタビューをしていきます。


通訳も入れると、基本情報を訊くだけで1世帯に1時間弱ほどかかります。


そのため、3世帯への調査にとどまったのですが、そのうちの1世帯でとても印象的なお話を聴いたのです。


 


31歳のお父さん、26歳のお母さん、2人の小さな娘さんが暮らす4人家族です。


お母さんのお腹は大きくなっていて、今月中には赤ちゃんが生まれるようです。


 


この家族に限らず、この地域で暮らす人達は自分の土地を持っておらず、農作業などの日雇い労働が主な収入源となっています。


 


 


質問をひと通り終え、調査項目としては設定していない話を雑談のように色々と訊いていた時、お母さんがおもむろに話しだしたのです。


 


 


「実はね・・・」


 


 


話さないと見えないこと


「実はね、この家にはもう1人、小さな息子がいたんです」


 


 


「その子が1人で歩けるようになって、私のことをマーと呼べるようになった、1年ぐらい前のことでした」


 


 


「ある日、夫と私の両方が日雇いの仕事をするために、家を空けることがありました


 まだ1人で外を歩かせるのは不安で、その日は母に小さな息子の面倒を見てもらうことになっていました」


 


 


 


「しかし、夕方、仕事を終えて帰って来ると、息子の命はここにはありませんでした


 村にあるため池で溺れて、亡くなってしまったのです」


 


 


彼女は、マーと言えるようになったぐらいの小さな息子さんが1人で出歩かないように、家ではいつも一緒にいたそうです。


ただ、その日は彼女のお母さんが目を離していた際に、息子さんは1人で外に出て行ったようです。


泳ぎ方もまだ知らない息子さんは、水の張ったため池に入ってしまい、そのまま溺れてしまったのです。


 


 


彼女は大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、こう言いました。


 


 


 


もしも、そんなことになると分かっていたら仕事になんか行かなかったのに


 


 もしも、私が一緒にいれば、その子が命を落とすことはなかったのに


 


 


私は、「人がいつ死ぬのかなんて、誰にも分からない」という趣旨の言葉を返したきり涙を浮かべながら、ただただ彼女の話を聴き続けることしかできませんでした。


 


 


村に行けば、いつも明るい笑顔で迎えてくれるこの家族に、こんなにも悲しい過去があったなんて。


話を聴くまでは、正直、想像もできませんでした。


 


問題の根源とは


すでに書いた通り、この地域に住む人達は自分の土地を有していません。


それは、地雷の危険を知りながらも、仕事などを求めて移り住んできた人がほとんどだからです。


カンボジアでは、プレア・プット村に限らず農村部(特に地雷埋設地域)に住む多くの人が「貧困層」であり土地を持たないため、収入を得る手段としての農業をすることができません。


そのため、地主が展開している大規模な換金作物栽培にまつわる日雇い労働などをする以外、収入を得る手段がなかなか無いのです。


 


さらに、このような格差が生じている原因として、「地雷」の影響は多大なものです。(もちろん、それだけではありませんが)


 


プレア・プット村では生活圏内の地雷撤去は完了しているのですが、この村だけで6,000個以上もの地雷が撤去された、地雷ベルトに位置しています。


これだけの数の地雷が埋まっていたため、インフラ整備やその他の社会的・経済的な発展からは取り残されていると言えます。


 


 


「もしも」を言いだすときりが無いのは分かっています。


でも、どうしても考えてしまうのです。


 


 


もしも、日雇い労働以外の収入源があって、お母さんが家にいることができたなら。


 


 


もしも、農村部と都市部の間で、これほどまでの格差が生じていなかったら。


 


 


もしも、この地域に「地雷」が埋められていなかったら。


 


「当たり前」のこと


お母さんと話をしていて、学生時代にウガンダを始めとする国際協力の現場で実感した大切なことに改めて気付かされました。


 


 


「元子ども兵」や「地雷被害者」などとひと言でくくらずに、1人ひとり」に焦点を当てること


 


1人ひとりが抱えている問題、逆に持っているリソースは異なること


 


10人いれば、10通りの支援のあり方があること


 


そして、私たちは「できる限り1人ひとりに寄り添った支援」を展開するNGOであること


 


 


これらを実行するためには何よりも、まずは相手を知らなければなりません。


それが例え「村落開発」という支援であっても。


 


相手が誰か、どんな状況にあるかも分からないまま、「意味のある支援」なんてできるわけがないのです。


 


 


頭では分かっていながらも、ここ数ヶ月は色々と理由をつけて、それが出来ないでいました。それが、自分の抱えているもやもやの大きな原因のひとつでした。


しかし、それを改めて気付かせてもらった以上、やるしかないと思っています。


 


 


「本当に意味のある支援」


 


「本当に自分のやりたい形としての国際協力」


 


 


それを見つけるために、動いていこうと。


 


 


こんな、「当たり前」のことに気付かせてくれたプレア・プット村のお母さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。


涙を流しながらも、辛い出来事を話してくれて。。


 


 


最後に、お母さんはいつもの明るい笑顔で、大きなお腹をさすりながら話してくれました。


 


 


「この子はね、亡くなった息子の生まれ変わりなんです


 


 息子が、私のお腹に入っていく夢を見たんです」


 


・・・・・・


 


「すべての生命が安心して生活できる社会の実現」


 


そのために、この手で未来をつくっていくんだ。


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