2017年06月

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


忙しい日々を過ごしていると、心がいっぱいいっぱいになってしまうこと、ありませんか?


学校の講義や課題・部活動、会社での仕事や家事・育児、あるいは所属先におけるややこしい人間関係などなど。。


頭では分かっているつもりでも、そんなあれこれが目の前に山積みになってしまうと、つい、心から余裕が失われてしまうことがあります。


その状態を、対象と視点との距離で表すなら、「かなり近く」で物事を捉えている状態だと言えるでしょう。目前のことに集中するあまり、それ以外のことに目がいかない、心がまわらない。。頭の中の柔軟性なんかも欠如していってしまうかもしれません。


そこで、視点をより遠くに持っていく、心のバランスをとる力を持っている1冊の本、日髙敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん (集英社文庫)』をご紹介します。 


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動物行動学者である著者の日髙さんが、虫をはじめとする生物たちの行動観察を通して、人間にとっての世界の見え方や、人生に対しての考えなどを説いたような本です。


かの有名なコピーライーター 糸井重里氏は本著の帯にてこのようにコメントしています。



まず、まえがきだけ読んで見てください。

たった21行なのですが、ここには著者の思いと方法が凝縮されています。いい本です。

力が入ってないのに力をもらえます。(糸井重里氏)



 


本当にその通りでした。全体を通して、著者のあたたく優しい、自然な言葉が散りばめられています。


それでいて、読み終えると「力」が湧いてくる気がします。この力は、筋力のような硬い質のものではなくて、どちらかというと、柔軟な対応力や受容力といった柔らかい質の力です。


 


一見複雑で重たそうな、人間界という不思議な世界や、死「デッド(dead)」というトピックに対して、「イリュージョン」や「ダニの見ている世界」など著者特有の引き出しからくる情報と共に、軽やかな言葉で説明がなされていきます。


たくさんの大事な要素がある中、特に印象に残っているのは、生物多様性がなぜ重要なのか、という問いに対する著者の考えが書かれている箇所です。



生態系の豊かさが失われると人間の食べものもなくなります。食べものも、もとは全部いきもので、人間がそれを一から作れるわけではないのですから、いろんなものがいなければいけないのです、と。

・・・ほんとうは、あらゆるいきものにはそれぞれに生きる理由があるからだと思っている。

・・・だからこそ動物学では、海の底のいきものも人間も、どちらが進化していてどちらが上、という発想をしない。

・・・いきものは全部、いろいろあるんだな、あっていいんだな、ということになる。つまりそれが、生物多様性ということなのだと思う。

(89-90ページ)



 


結局、そういうことなんだと思います。あれこれ難しく考えるのも楽しいですし、大事なことではあります。

でも、一方で本著のようなゆるい、柔軟な考えを持つことも大事だと思います。


要は、バランスをとることに尽きるのかなあ、と。


 


本著では一貫して、「つきつめない」ことの大切さや、ある種のいいかげんさを常に持っておくことの必要性が説かれています。


その点で、今回ご紹介した書籍は、対象と視点との距離に関してバランスを保つには、すごく「力」のある言葉が並んでいると言えます。


心に余裕のなくなってきている方や、つい頭で考えすぎてしまう方、頑張りすぎてしまう方に、ぜひ読んでいただきたいです。


 


いろいろあって、いいんです。 


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


今月は中旬から日本への一時帰国をしたり、大切な仲間が日本からカンボジアに視察に来てくれていたりと、文字通り、動き回っていました。


日本とカンボジアの往復や、フィールドへの移動、滞在しているバッタンバンからシェムリアップの往復など、ここ2週間の移動距離を計算したらすごいことになりそうです。。


今日、よく行くカフェにおよそ3週間ぶりに訪れ、店員さんから「最近来てなかったけど、何してたの?」と訊かれてしまうほどです。


 


という言い訳をして、このところ、ブログやSNSの更新がほとんどストップしていました。久しぶりにゆったりと過ごせる週末を迎え、約10日間ブログを更新しなかったら自分がどのような状態になるのか、書いておこうと思います。


 


インプット過多


今のわたしの状況をひと言で表すと、まさにこれです。


毎日、生きているだけで膨大な量の情報が得られます。目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻でにおったもの、舌で味わったもの、肌で感じたもの。。毎日、仕事を通してたくさんのことを考えますし、生活の中でたくさんの発見があります。


しかし、ここ数日はこれらの情報をただ単に受け取って、消費している状態に陥っていました。


インプットの質・量に対して、明らかにアウトプットの量が足りていなかったのです。


 


その結果、どうなるか。


 


頭の中で考えだけがぐるぐる回って、結局何も生まれてこない。


かえって、思考を巡らせる前よりも、余計に頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうこともしばしば。


これは本当に良くない状態です。


わたしの場合、一度思考が始まると、とことん深化していきます。これはポジティヴな方向にも、ネガティヴな方向にも。

プラスの方に思考が進んでいく分には全く問題ないのですが、これがマイナスに進んだ日には、恐ろしいことになるのが想像つきますよね。


 


では、どうしていくか。


 


息を吐くように文字化する


アウトプットとインプットは同じぐらいの質で、同じぐらいのボリューム感で回していく必要があると、常々考えています。


まるで生物が呼吸をするように、このサイクルを回していけるようになりたいなあと。息を吸うようにインプットをして、息を吐くようにアウトプットをしていく。


前者に関しては、冒頭でも書いた通り、日々を生きているだけで大量の情報が入ってきます。これはもう、ほとんど無意識下で行なっていると言えるでしょう。


問題は、アウトプットです。これは意識して時間を設定し、普段とは違う頭の使い方をしなければ、今のわたしには難しい作業です。慣れていないゆえに、特有の疲労を感じることもあります。


しかし、だからと言ってアウトプットを怠ると、また今のような状態に陥ってしまいます。その面で、やはりブログを始めて良かったなあと。


SNSで限られた文字数の中で表現することも、すごく勉強になることが多いとは思いますが、ブログのようにひたすら自身との対話を文字に起こしていく場も良いなあと思います。


 


ということで、ブログももう少し頻度をあげて更新していきます。 


 


上質なアウトプットは、上質なインプットから。


上質なインプットは、上質なアウトプットのために。


 


最初は意識的にでも良いから、アウトプットをしっかりとしていこうと、改めて感じた週末です。


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


先週末、日本へ一時帰国をしたのですが、怒涛のようなスケジュール組んでいたおかげで、あっという前にカンボジアへ帰国する日を迎えました。


久しぶりに光のような速さで過ぎる日々を過ごし、今、トランジット待ちのベトナム空港で、ほっとひと息ついています。


・・・その予定でしたが、日本で出発が遅れたために、ベトナムでのトランジット待ちは約30分と、結局帰りもばたばたでした。


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久しぶりに窓際の席。


 


今回の日本滞在で改めて実感したのは、やっぱり自分は「人が好き」だなあということです。


これだけグローバル化が進み、科学技術の発展した現代社会においては、外国人が入れるような国なら大抵、どこに行っても日本や世界中の人との「繋がり」を保てるのではないでしょうか。FacebookやTwitterなどのSNSを用いて、あるいはSkype等でテレビ電話を使用して、いつでもどこでも「繋がれる」状況です。


現に私も、このブログをカンボジアから書いていますし、Skypeを使って日本の事務局にいるスタッフと打合せをすることがしばしばあります。それはもちろん、使えるものはうまく活用していけば良いのですが、直接、人に会って話すことを上回るほど実りのあるコミュニケーションは、今の私には思いつきません。


もともと人と話をするのが好きなのですが、それは人と話をしているのと同時に自分との対話を楽しんでいるところもあります。

話の内容だけでなく、その人の考えや言葉の言い回し、話す時の表情や身振り手振りなど、電話や文字だけだと伝わらない情報が一気にインプットされていきます。


同時に、自分が話すことでそれと同量のアウトプットをすることができます。

加えて、何かを人に伝える時って口から言葉が出る前に、あるいは文字にする前に、必ず「自分との対話」というステップを踏んでいるんですよね。おそらく無意識の間にもその作業を踏んでから、人に「言葉」で伝えているはずです。


 


幸いにも、私の周りには話し上手、聴き上手の方が多く、2時間ほど話せばお腹が鳴るぐらいの熱量を持った、大量のインプットとアウトプットができる環境があります。


学生時代ウガンダに滞在していた時も、現在書いているこのブログもそうですが、1人で生活をすると圧倒的に自分との対話をする時間が増えます。休みの日だと、カフェやレストランで注文する以外、誰とも話さない日も往々にあります。それ以外は基本的に自分との対話を楽しんでいます。海外にいると、よりその傾向が強くなるかもしれませんが、日本でひとり暮らしをしている方も同じではないでしょうか。


自身と対話をすることは、思考を深めていく上で重要なことですが、ある種の限界を孕んでるのも事実です。自分の価値観や経験、持ち合わせている言葉だけで物事を考えると、どうしてもあるところでストップしてしまいます。それを理解した上で、1人でとことん考えて、定期的に誰かにアウトプットし、アイディアの壁打ちをしてもらうことが、私には必要なのです。


誰かに話すことで、新たな視点に立つことができたり、それまで漠然と頭の中にあったアイディアまでの間に、急にロジックという道程が構築され、明確なものになっていくことがよくあることを知っているからです。


誰かに壁打ちしてもらうには、電話も良いですがやはり対面の方が好きだなあと思います。


 


今回の帰国は5泊6日と短かったのですが、そんな短さを感じさせないぐらい、たくさんの心の栄養をいただきました。


これから、自分がやりたいこと。そのために今やるべきこと。


見えかけては、また霧に埋もれて。


そんな繰り返しですが、自分の頭と手足を止めることさえなければ、いつかは確信を持って進めるはず。


全身から「わくわく」が溢れてきています。


着実に、ひとつずつクリアして、将来的に自分がやりたいことをやれる自分になれるよう、今日からまたカンボジアで楽しんでいきます。


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


 


唐突ですが、今晩のフライトで一時帰国します。




そのため今朝、プロジェクトを行なっているバッタンバン州カムリエン郡を出て、国際空港のあるシェムリアップ、アンコールワットのあるシェムリアップに移動してきました。


 


自分でも驚くぐらい、街に近づくにつれてなんだか懐かしい気分に。。


自然と涙がこぼれてきそうな、なんとも言えない感情になりました。


元々涙腺は緩い方なのですが、最近、歳のせいかさらにゆるゆるになってきているのです。。


 




なんとなくですが、シェムリアップの郊外って、わたしの地元と雰囲気が似ている気がするんですよね。


道路が広い割にそれほど交通量も多くなく、道沿いには程よく飲食店やホテル、お家なんかが並んでいて。


街中はさすがに都会すぎて、わたしはあまり得意ではありませんが。


 


懐かしく感じる理由はもうひとつあって。

実は3年前、1人でバックパックを背負ってシェムリアップに来たんです。


人生で初めての海外は20歳の時に行ったフィリピンと、比較的海外デビューは遅い方だろうと思います。


 


そんなわたしにとって、人生で3番目に訪れた国がカンボジアなのです。




大学2年生から3年生にあがる春休みに、意を決してタイとカンボジアに約1週間ずつ、1人で行くことに決めたんです。


その頃はなぜか、アンチ『地球の歩き方』という少し歪んだ性格だったため、ガイドブックなどを一切持たずに行ったことを覚えています。まずは地図を手に入れるところから始まり、その辺のおっちゃん・おばちゃんに片言の英語で話しかけまくるような旅でした。


でも、そのおかげで現地の人のあたたかさや、その土地に住む人だからこそ持ち合わせている知識に頼ることの大切さを、身を以て学ぶことができました。


それから、バックパッカーに大人気のカンボジア シェムリアップのゲストハウスで偶然出会った同世代の方々とは、今でもたまに連絡を取り合うなど、旅での収穫は大きな大きなものとなりました。


当時は若気の至りか、単純に頭が悪かったのか、2週間の旅に(航空券を除いて)交通費も合わせて150ドルほどしか持って行きませんでした。宿泊費も含めて1日10ドルという、結構きつきつな旅だったことを思い出します。


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そりゃあもう、目の前のかぼちゃプリンを撮るのに必死でしたよ。


それぐらい、追い詰められていました。


 


あれから3年と少しが経ちました。


あの時、まさか自分がカンボジアに住んで仕事をするなんて誰が想像をしていたことでしょう。


あの頃の自分と比べると、心の余白が大きくなったなあと感じます。




まず、コミュニケーションの面。当時は大学の授業以外で英語を使う機会がほとんどなく、英語を話すことができるのかどうかすら自分でも分からない状況でした。英語という、普段口から発しない言語を振り絞ることで、相手の話の内容を理解することで、精一杯。とにかく「言葉」にコミュニケーションを支配されていたような気がします。


しかし、今はそれなりに海外での経験を積み、余裕を持って英語でのコミュニケーションをとることができます。その余裕を、言葉以外のコミュニケーションにまわすことができている気がします。とはいえ、まだまだ勉強不足。まずは、ネイティヴスピーカー同士の会話にも割り込んでいけるぐらいにはならないと。。


 


それから、なんと表現すれば良いのか、、いい言葉が見当たりませんが、「感度」の面における余白。


海外に行くこと自体もまだ3度目なのに加えて、1人旅という形で海外に行くのは初めてで、もう見るもの、聞くもの、やること為すこと全てが新鮮でした。


目の前の「新鮮さ」で、当時のわたしの五感は一杯いっぱいでした。それはそれでもう楽しくて。

ただ、今は良くも悪くも海外での生活に慣れてきているので、全部が「新鮮」と感じることは困難になっています。


その分、これまで「新鮮さ」で埋め尽くされていた中に余白ができたので、3年前には感じ取ることのできなかったものが見えてきたり、考えられたりと、なんだか歳をとったなあと思います。


 


前に進み続けるのも良いのですが、たまには、これまで自分が辿ってきた道を振り返ってみることも大事だなあと。3年振りのこの地で感じています。


昔行った場所にふら〜〜っと行ってみるとか、昔読んだ本をさら〜〜っと読み返してみるとか。


 


当時の自分との「違い」を楽しめる今の環境に、感謝ですね。


さてさて、フライトの手続きをしなければ。

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


 


そろそろ、就職活動のことを考えて、動き出す時期でしょうか。


就活生の皆さん、就職活動楽しんでいますか?


数ヶ月前まで現役大学生だったわたしも、実は2017年卒の就活スケジュールに沿って就職活動をしていました。


最終的にNGOに就職という少し特異なキャリアを選んだわたしは、最近出会う人からは「就活なんてしていなかったんでしょう」という感じでこられます。


 


いや、こう見えてもしてましたからね。わりと「普通」に。


前回の記事で、就活の情報サイト解禁日であった2016年3月、わたしがカンボジアにいたことや、なぜ就活をしていたのかについて書きました。


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今回は、就職活動において(あるいは、人生を通してとも言えるかもしれません)貫き通していたことをお伝えします。


 


それは、たった1つです。


 


誠実であること


これ以外、何もありません。とってもシンプルです。


「誠実」という言葉の捉え方は人それぞれあるかもしれませんが、次のような人が「誠実な人」であるとすると、おそらく大半の方から賛同を得られるかと思います。


 


「誠実な人」とは・・・


・裏表がない


・人に正直に接することができる


・嘘をつかない


 


他にもいくつかの要素がありそうですが、上記のポイントをクリアしている人は「誠実」だと言えるのではないでしょうか。結局はどれも同じようなことを意味していて、これらを包括するような言葉が「誠実」だと考えます。


 


ここで、わたしの就活エピソードを少し。。


 


面接はできるだけ私服で


説明会や選考会の際に、「スーツ着用」の文言がない場合は普段通りの服装で行っていました。だって、日常生活でスーツなんて着ませんもの。


日頃からスーツを着ている学生が、私服OKの場でスーツを着ていることは全く不思議ではありませんが。


「私服でも可」の記載がある企業説明会に参加した時、周りは真っ黒でした。なるほど、就活生は「私服でも可」=「スーツを着なさい」と頭で変換する能力があるのかと、驚いたものです。


わたしは大学の1、2年生の頃、古着屋でしか服を買いたくない時期があり、手持ちの服はほとんどが古着でした。でも、それで面接にも行っていました。


経験則として、よっぽどのことがない限り、私服OKの面接で私服を着て行って、服装だけが原因で落とされることは、まずありません。


 


原因は他にあるのでしょう。


 


そんなわたしは、インターン先の上司からいただいた、緑の中を走り抜ける真っ赤なシャツで集団面接を受けたこともあります。 


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インターン先にて 真っ赤なシャツで写真撮影をする筆者


 


想像してみてください。


 


学生5人に対して面接官は1人。


左から順に、黒、黒、黒、黒、真っ赤っかです。


 


それでも、通る時は通るんです。


通らないときは通りません。


 


就活は、ひと言で表すと「マッチング」です。


相手と自分が合うかどうかを、説明会や面接の機会を用いて探り合う「共同作業」です。


 


こちら側が「自分らしさ」を放棄してしまえば、相手は何を以って判断基準とすれば良いのでしょう?


相手を困らせないためにも、常に「ありのまま」でいました。


 


とにかく正直に


就活中のいかなる面接においても、嘘をついたことは一度もありません。


 


「oo秒間で自己紹介をしてください」という問いには、ウガンダやカンボジアに行った経験、そして最後には「世界平和を実現したい」旨を必ず伝えていました。


「自分をひと言で表現してください」という問いには、「世界を平和にする人間です」と答えていました。


「〇〇年後のキャリアプランは?」と訊かれたら、「〇〇年後には御社にはいないと思います。国際協力のNPO/NGOに転職しています」と答えていました。


 


それでも、通る時は通るんです。


通らないときは通りません。


 


面接中、ウガンダの子ども兵の話なんかをすると、興味津々に話を聴いてくださる面接官の方もいました。


グループ面接でも他の学生に質問が飛ばず、わたしばっかりウガンダのことを掘られることも。その場がプチ講演会のようになって気持ち良く家に帰った後、お祈りされることもしばしば。


でも、それで良いんです。

面接という場を通して、子ども兵の問題を1人でも多くの人に届けることができたという充実感がありましたから。


 


自分を偽ることなく面接をやり続けた結果、「面白いね、それうちでやりなよ」と言ってくださる社長さんにも出会うことができました。


将来、やりたいことをひたすら語っていると、これまでに数千人数万人と学生を見てこられた人事担当の方から、「君はNGO職員が向いてるよ。頑張ってね!」と握手を交わして会場を後にしたこともありました。


 


就活とは・・・


結局、「合うか合わないか」の問題でしかありません。


こんなわたしでも「合う」と判断してくださったいくつかの企業からは内定をいただきましたし、「合わない」と判断してくださった企業は次に進むことはできませんでした。


 


あなたが冷たいレモンティーを飲みたい気分の時に、こってこての豚骨ラーメンを目の前に出されたら、断りますよね。


それと同じこと。


 


最も大事なことは「自分に誠実である」ことではないでしょうか。


世の中とは不思議なもので、他人を騙したら罪になるのに、自分を騙しても罪に問われないんですよね。


でも、わたしは思うんです。


 


自分を騙すのだけは、やめてほしいなあって。


 


自分に誠実であり続けることは、とってもしんどいことかもしれません。


時に、痛みを伴うことかもしれません。


 


でも、最期に人生を振り返る時、自分を偽り続けていたら、そのことをきっと後悔すると思うんです。


それだけは嫌なんですよね。。


 


今、もやもやしている就活生の方がこの記事を読んで、少しでも気持ちが楽になってくれると良いなあ、と思いつつ。


就活生はこんなブログ読んでいる場合じゃないなあとも思いつつ。


 


なんだか懐かしい、就活の振り返りでした。


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