2017年04月

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

わたしが「国際協力」の世界に本格的に足を踏み入れたのは、大学3年生の時でした。

それまで世界で起こる問題に関心は抱きつつも、なかなか行動に移せなかったのです。そこには様々な要因が絡んでいて、それらを言い訳にして「動かない」自分がいました。

それがなんの巡り合わせか、今となっては「国際協力師」としてNPOに新卒で就職し、カンボジアに駐在しているのです。

 

一般的に、日本国内において国際協力に携わるNGOは400以上あると言われています。これに、政府系機関で働く方やJICAボランティアの方、それから全国各地の学生団体で活動をする学生たちを加えると、とても多くの人が国際協力活動に関わっていることが容易に想像されます。


そんな方々が、よく周りの人に聞かれる質問のひとつがこれではないでしょうか。


 

「なぜ、日本ではなく「途上国」における問題に取り組むのか?


 

わたし自身、就職活動をしている最中、一般企業への就職か今の道を選ぶかでたくさんの方とお話をさせていただき、様々な視点から助言、提言、時には批判の声をいただきました。


それでもわたしが、なぜ学生時代から「途上国」に赴き国際協力活動に従事してきたのか、自分なりの考えをまとめます。


今は学生団体で活動をしているけれど、仕事にするとなると。。


将来的には国際協力の道に進みたいけれど、今は目の前の仕事があるし。。


そんなあなたに、少しでも勇気を、刺激をご提供できればと思います。


 

1. 世界は繋がっている


グローバリゼーションがこれほどまでに進展した現代社会において、世界で起こっている出来事に対して「わたしたちが全く無関係である」と言うことは、もはや不可能です。日本にいるわたしたちの何気ない行動選択が、世界の裏側にいる人々の、そして地球上の生命・自然環境を脅かしている可能性があるのです。

わかりやすい例でいうと、紛争鉱物のお話。


最近、Apple社による最新の「環境責任報告書」で、古い製品からアルミや銅、すず、コバルトなどを取り出して新しい製品に再利用する方法を試みるなど、リサイクル材料のみによる新製品の生産を実現するという目標を公開しました。この背景には「紛争鉱物」また、それにまつわる「児童労働」という問題があったことは間違いないと言えます。


今、あなたがこの記事を読んでいるスマートフォンやノートPCの中には、紛争の原因が入っているかもしれません。今も不安定な状況にあり、「平和以外に何でもある国」と称されるアフリカのコンゴ民主共和国(以下、「コンゴ(民)」と表記します)は、豊富な鉱物資源に恵まれた国でもあります。


金や銀、タングステンなどの資源が豊富に採れ、中でもタンタルは世界全体の6割もの埋蔵量がコンゴ(民)に眠っていると言われます。そのタンタルは、主にスマートフォンやゲーム機のコンデンサーに使われています。


問題なのは、この鉱物資源の権益を巡って武装勢力が活動を展開し、女性や子どもを含む一般市民が巻き込まれているということです。武装勢力は違法なルートで資源を入手する多国籍企業から賄賂を受け取ることで活動資金を確保するために、国内の鉱山を支配しようとします。


その際に、武装勢力の兵士によって女性がレイプ被害を受けることが「日常茶飯事」です。また、鉱物資源の採掘現場では大人だけでなく、子どもも低賃金かつ長時間という劣悪な環境のもとで労働を強いられているのです。


すべての電子機器に含まれているものが「紛争鉱物」ではありませんが、そのサプライ・チェーンは非常に複雑に形成されており、100%紛争に加担していない鉱物資源である、と言い切ることは困難です。つまり、わたしたちのカバンやポケットの中には、紛争の原因が入っているかもしれないのです。


他にも、環境問題や食料問題など、例を挙げだすと本当にきりがないほど、世界で起こる問題はわたしたちの日常生活と密接に関わっています。


それなのに、日本人だからという理由だけで、日本の問題だけに目を向けていて良いものでしょうか。


わたしはそのような事実に直面し、問題を引き起こした当事者の1人として、地球市民の1人として、解決の糸口を探っていきたいと思い、海外での活動に従事してきたのです。


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2. 「適財適所」という考え


とってもシンプルですが、これはわたし自身がたどり着いたある種、揺らぐことのないひとつの考え方です。皆さん、この言葉をネガティヴに捉えるのではなく、ポジティヴに捉えましょう。

人にはそれぞれの性格、生い立ちや育った環境、経験などには違いがあり、あなたと同じように育ち、同じ経験をし、同じ事を同じように考える人は、この世に2人といないはずです。


あなたには、あなたにしか持ち得ない信念、生きる目的があるはずです。あなたには、あなたにしか発揮し得ない能力があるはずです。


ならば、それを発揮できる場所も一人ひとり違って当たり前だと思いませんか。


「日本に生まれたから、日本の問題を何とかしないといけない」


そんな枠に縛られるのっておかしくないですか?


わたしには兄がいるのですが、その兄によく、こう言われます。


「隣の人が困ってんのに、なんでお前はその人見過ごして海の向こうまで行ってしまうねん」(関西出身なのでわたしも普段は関西弁です)


日本においても子どもの貧困やいじめ、自殺など種々の問題が存在しているのは事実です。隣の人が困っているのも事実です。もちろん、それを見過ごすわけにはいきません。


ただし、自分がウガンダに行ってしまえばその困っている隣の人がウガンダ人かもしれません。カンボジアに行けば、困っている隣の人はカンボジア人かもしれません。要は、その場所が違うだけで、やっていることは日本に居ても海外に居ても一緒なのです。


 

わたしはただ、隣にいる人の笑顔を見たいのです。


 

学生時代は、たまたま「アフリカ」「子ども兵」という問題に関心を持ち、「元子ども兵の人たちの笑顔を見たい」という想いがあったから、そして、運良く現地に行く機会があったから、わたしはウガンダに行き「元子ども兵社会復帰支援」のプロジェクトに携わっていた。極論を言えば、ただそれだけのことなのです。


また、海外で活動をすることが日本の問題解決に必ず寄与すると確信を持っていますし、将来的にはそのような事に携わっていくつもりです。


あなたに人生で成し遂げたい目的があったとして、もしその目的が日本にいるだけでは達成できないものであるならば、今すぐ飛び出しましょう。


「日本人だから、日本に居ないといけない。日本の会社で、日本のために働かないといけない」


 

そんなの、おかしいですよ。


・・・・・・


つらつらと書きましたが、決して日本で働くことを否定しているわけではありません。


わたしはただ、「国際協力をしたい」「海外で働きたい」という想いがあるにもかかわらず、そこに自分で勝手な限界を設定して諦めてしまうのがもったいないと思っているだけです。


学生なら学生なりに、社会人なら社会人なりに、「国際協力に携わる」という人は社会からそれなりの逆風を受けていると思います。わたしの場合は、親からかなりの強風を浴びてきました。


 

でも、考えてみてください。


 

あなたは「誰の」人生を生きたいのですか?

 

その逆風に吹き飛ばされるぐらいの覚悟・想いであるならば、今は逆らわない方が良いのかもしれません。逆に、どんなに強い逆風にあっても地に足を着けて歩き続けられるのであれば、とことん歩を進めましょう。


あなたが台風の目となって、気が付けば、周りの人はあなたの吹かせる風に巻き込まれているでしょう。





こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

このブログの中でよく出てくる単語のひとつが「子ども兵」です。この問題を知ったことをきっかけに、わたしは国際協力への道へと歩み始めました。

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今となっては当たり前のように使っている「子ども兵」という言葉ですが、大学2年生になるまではわたし自身、全く知りませんでした。

最近だと、ISや南スーダンにおける子ども兵の使用がメディアに取り上げられているので、耳にしたことがある方は多いかもしれません。また、2015年3月に公開された映画『風に立つライオン』でも子ども兵の様子が描かれていたので、以前に比べると社会における認知度は上がっているといえるかもしれません。

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そんな「子ども兵」について、アフリカ ウガンダ北部に半年間滞在し、元子ども兵の社会復帰支援に携わったわたしが3つの数字で解説します。

国際協力初心者の方でも、この記事を読み終えたあなたはきっと、大学2年生当時のわたしとは比べ物にならないぐらい「子ども兵」問題に関する知識がついているでしょう。

その前にひとつだけ質問です。

「子ども兵」と聞いて、どんな人を思い浮かべますか?

 

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そもそも、子ども兵とは誰のことを指すのでしょうか。国連文書などに広く用いられている定義は、『ケープタウン原則(Cape Town Princiles and Best Practices)』に示されている、以下のものです。

正規、非正規を問わず、あらゆる軍隊における18歳未満の子どものこと。


つまり、18歳未満であれば軍隊に所属するいかなる者も「子ども兵」であるということです。戦闘行為に直接的に参加していようが、政府軍あるいは反政府軍の裏方で大人兵士の世話係をしていようが、軍隊における18歳未満の者を「子ども兵」とします。

子ども兵の最低年齢に関してはいくつかの国際法によって差異があり、一律に明確な設定がなされていないのが事実としてあります。1989年に国連で採択された『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』によると、「児童とは、18歳未満のすべての者」を指します。本条約は南スーダン、次いで2015年10月にソマリアが批准したことで、アメリカ合衆国を除く世界196ヶ国が締結している条約です。このことから、子どもの権利条約は、児童の権利に関する国際社会の考えを最もよく表すものだと言えます。

したがって、「子ども」=「18歳未満のすべての者」であり、そのうちの「軍隊に所属する者」=「子ども兵」なのです。

 

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諸説ありますが、世界には25万人以上の子ども兵が存在するとされています。ここで重要なポイントは、その正確な数は誰にも分からないという点です。その主な理由は以下の4つです。

1. 死亡率が高い。


子ども兵は戦闘の最前線で「弾除け」として、あるいは地雷原にて「地雷除去装置」として、大人兵士に使用されることが多くあります。自分の身を守るために、子ども兵は大人兵士によって優先的に危険地帯へと送られるため、死亡率が高く、いつ誰が命を落としたのか、その数を記録するのは困難を極めます。

2. 外見での区別が困難である。


これはある種、すごく単純な理由です。背丈や顔つきなどの身体的特徴だけで、その人物が18歳以上の大人兵士なのか、18歳未満の子ども兵なのか判断するのが難しく、子ども兵の正確な数が分からないのです。

3. 出生証明書がない


子ども兵が存在する地域では社会経済的に不安定な場所が多く、日本のようにきちんとした出生証明書がありません。つまり、自分の正確な誕生日が分からないのです。そのため実際の年齢が本人にとっても不明であり、子どもなのか大人なのかが判断できません。

4. 軍隊の兵士が子ども兵の存在を隠す


子ども兵の使用は戦争犯罪です。国際刑事裁判所規定(ICC規定)によって明記されています。それを承知の上で子どもを徴用し、戦闘へ参加させている軍隊の兵士が、果たして子ども兵の存在を認めるでしょうか。

これらの理由から、子ども兵はしばしば「見えない兵士(Invisible Soldiers / Children)」と称されます。

 

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上述した『ケープタウン原則』による子ども兵の定義には、実は続きがあるのです。

正規、非正規を問わず、あらゆる軍隊における18歳未満の子どものこと。その子どもとは、調理係、荷物の運搬係、伝達係、さらに家族以外でこのような勢力に同行する者すべてを含み、この定義には性的搾取や結婚を目的として募られた少女も含む。よって、武器を所持した、あるいは所持していた子どもだけを指すものではない。


わたしも以前は「子ども兵=戦場の最前線で武器を持っている男の子」というイメージしか思い浮かべられませんでした。しかし、戦闘行為に直接参加する子ども以外の非戦闘員も「子ども兵」に含まれ、さらに少女もこれに該当するのです。実際に、現在世界にいるとされる25万人以上の子ども兵のうち、約40%が「少女」だと言われています。

少女兵の多くは軍の大人兵士の召使いとして身の回りの世話を強要されたり、男性兵士による性的暴力の対象となったりします。また、強制結婚によって男性兵士の「妻」となり、強制的な妊娠・出産を経験する少女兵が数多くいます。そのため、男性兵士との子どもを連れて帰還する元少女兵も多く、HIVに感染しているなどの身体的な傷、それから強制的な性的行為による精神的な傷を負っています。また、帰還後も近隣の人々から差別や偏見の対象となるなど、社会・経済的な要因によって、元少女兵は「社会復帰が最も困難な存在」だと言われています。

・・・・・・

いかがでしたか?国際法や条約の部分など、あまり書きすぎると収集がつかなくなってしまうのでほどほどで留めましたが、「子ども兵」について何となくでも、ご理解いただけたでしょうか。

世界では、あなたと同世代の子どもが、兵士として働かされているのです。

あなたのお子さん、お孫さんと同い年ぐらいの子どもが兵士として働かされているのです。

最後に、この記事を読み終えたあなたにひとつだけお願いがございます。

それは、この記事、あるいはこの記事を読んだ感想を、あなたの大事な方に共有していただきたいのです。

問題解決の第一歩は「知る」ことです。

問題は、人々に認識されなければ問題にさえなり得ないのです。

そして、大事な方に共有する時、こう伝えてください。

「あなたの大事な人に、この話を伝えてください」と。

この輪が同心円状に広がっていくことで、「子ども兵」の問題をもっともっと人々に広めていきたいのです。そして、解決に向けて行動を起こす人を増やしていきたいのです。

一歩でも、半歩でも前に進みましょう。

この記事を読んだあなたはもう、その円の中心に立てるはずなのですから。

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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


これまでの記事で、現在、国際協力を仕事としている私が世界の問題に関心を抱いた最初のきっかけ、それから「子ども兵」という問題に取り組むようになった経緯について書きました。


www.yukinobuoka.com


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このようにして、認定NPO法人テラ・ルネッサンスにてインターンシップを開始しました。全インターン生に京都事務局での週2日、最低半年間勤務という条件があり、修了すると現場の状況やニーズを考慮して上で、海外事務所への視察ができる可能性があります。当時の私はそれほど海外志向は強くなく、2週間ほどウガンダ事務所に視察に行けるといいな、ぐらいに思っていました。


芯の無さに気づかせてくれた「世界青年の船」


インターン開始と同時期に、内閣府主催の青年国際交流事業の一環である、平成26年度グローバルユースリーダー育成事業「シップ・フォー・ワールド・ユース・リーダーズ(SWY27)」への参加が決定しました。世界10カ国から10人ずつの外国参加青年 100名と、日本全国からの日本代表参加青年 100名ほどが集まり、1ヶ月間を共に過ごしました。ディスカッションや文化交流などの活動を通して、国際的視野の拡大、リーダーシップや異文化対応力の向上を目的とした事業です。


「SWY27」参加青年での集合写真


学校の講義と、テラ・ルネッサンスのインターンシップ、それから世界青年の船への参加準備と生活は一気に慌ただしくなりました。20151月末、あっという間に事業開始の日を迎えました。意気込んでいたものの、各国の省庁関係者などをはじめとしたエリート揃いの外国人参加青年とのディスカッションに、全くと言っていいほど口を挟むことができませんでした。英語力の低さはもちろんですが、それだけではありませんでした。


「伝えたいことが見つからない」


英語ができないことを言い訳に、思考が停止している状態だったのです。今だから言えますが、事業期間中の1ヶ月は、私にとって本当に苦痛でした。それは、「何か意見を言わないといけないが、何も言うことがない」という自分の中身の薄さと常に向き合う必要があったからです。


休学をしてアメリカへ


世界青年の船が終わる頃には、漠然と考えていた「休学」という選択肢が明確なものとして頭の中にありました。


「このまま就職活動をしても、中身のない人生を送ることになる」


幸いにも、私の通う大学は学生の大半が休学・留学を経験するので、1年間大学を休むことには抵抗は全くありませんでした。


「よし、休学してアメリカに行こう」


当初はそう考えていたのです。もともと、環境問題にも関心のあった私はどうしてもアメリカのオレゴン州ポートランドで住んでみたかったのです。というのも、ポートランドではパーマカルチャーを街全体で実施している、とても魅力的な場所なのです。Permacluture Center Japanによる定義は以下の通りです。



パーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法



その前に、日本で勉強をしようということで、以前に知り合っていた鹿児島県 屋久島でパーマカルチャーを実践されている方の元でイソウロウすることにしました。


本当の自分の「心の声」


20154月上旬から、アペルイさんでお世話になった私は、晴れた日には畑に出たり、家を建てたり。雨の日には島1周のドライブに出たり。休みの日には家族全員で川遊びに行ったり。半自給自足の生活にとても幸せを感じていました。


屋久島での夕日 photo by Yuki Nobuoka


そして、地ビールや鹿児島県の名産である芋焼酎を酌み交わしながら、そこのご主人と熱いお話をさせていただくのが毎晩の楽しみでした。その方は、元々食糧問題や環境問題に関心があり、自らのライフスタイルを通して世界を平和にしたいという方でした。ある晩、国際協力や世界平和についてお話をしている時に、こう言われたのです。


「屋久島でこんなHAPPYな生活を送っている場合じゃないよ。本気でアフリカの子ども兵問題を解決したいのなら、早く現地に行かなきゃ


この言葉にハッとさせられました。これまで関心があるとは言え、「子ども兵」という問題は自分の中でもどこか遠くに追いやってしまっていました。しかし、このひと言で改めて自分の中で覚悟ができました。「本気でこの問題と向き合おう」という覚悟でした。一歩を踏み出す勇気をくださったアペルイの皆様には、感謝をしてもしきれません。翌日には自宅へ帰る交通手段を確保し、予定より数週間早く屋久島を後にしました。


すべては縁とタイミング


関西に帰ってきた私は、ポートランドのことなどすっかり忘れて、なんとかウガンダに長期で行けないかと、頭も身体もフル回転でした。テラ・ルネッサンス京都事務局の職員の方々や、10年以上アフリカの現場で活動をされてきた、理事長でもある小川さんを捕まえて、相談を繰り返していました。そして、京都の某ファミレスにて小川さんと23時間話した末、正式にウガンダ事務所への長期派遣が決定したのです。これは団体としても初の試みでした。


もう本当に、縁とタイミングに恵まれていました。私がこの時、たまたま休学をしていたから。この時、たまたま現地のウガンダ事務所に日本人の学生インターンを受け入れられる余地があったから。この時、たまたま日本の事務局側としても新たなチャレンジをしたかったから。


他にもたくさんの要因がありますが、そのどれかひとつでも欠けていたら、どれかひとつでも重ならなかったら私のウガンダ行きは実現しなかったでしょう。すべての方に、すべての出来事に感謝の想いを抱いて、20157月より自身にとって初のアフリカ、初の海外長期滞在がウガンダ共和国でスタートしたのです。


 

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

現在、カンボジアに滞在して地雷撤去後の地域における村落開発支援プロジェクトや、地雷被害者を含む障害者家族の生計向上支援プロジェクトなどに携わっているわたしですが、世界の諸問題に関心を抱いたのは小学3年生の時、大好きだったサッカーを通してでした。

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そして、国際協力の道を歩み始める直接的なきっかけとなったのは、大学生時代に知ったアフリカにおける子ども兵の問題です。忘れもしない2013年11月19日(火)、5限目の時間に認定NPO法人テラ・ルネッサンスの現理事長 小川真吾氏がゲストスピーカーとしてわたしの通う大学に招かれ、講演会が開催されたのです。この、たった90分間、たった1コマの講義がわたしの人生を大きく変えることとなったのです。


 

「少年兵=子ども兵」だが・・・


「子ども兵」という単語を聞いて、どのような人をイメージしますか?

少年兵 photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス
(少年兵 photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)


1997年にユニセフ主導で採択された『ケープタウン原則(Cape Town Principles and Best Practices)』によると、子ども兵は以下のように定義されています。


正規、非正規を問わず、あらゆる軍隊における18歳未満の子どものこと。その子どもとは、調理係、荷物の運搬係、伝達係、さらに家族以外でこのような勢力に同行する者すべてを含み、この定義には性的搾取や結婚を目的として募られた少女も含む。よって、武器を所持した、あるいは所持していた子どもだけを指すものではない。
『ケープタウン原則』より翻訳)


つまり、子ども兵は武器を持ち、直接戦闘に参加する以外の非戦闘員も含まれており、さらに少年だけでなく、少女もこれに該当するのです。当時のわたしは知識もなく、「子ども兵=戦場の最前線で武器を持っている男の子」というイメージしか思い浮かべられませんでした。

しかし、現在世界に25万人以上いるとされる子ども兵のうち、約40%が「少女兵」だと言われています。

少女兵の多くは軍の大人兵士の召使いとして身の回りの世話を強要されたり、男性兵士による性的暴力の対象となったりします。また、強制結婚によって男性兵士の「妻」となり、強制的な妊娠・出産を経験する少女兵が数多くいます。講演内容の主な舞台となったアフリカ ウガンダ共和国では1980年代後半から約20年間、政府軍と反政府軍(LRA:神の抵抗軍)との戦闘が続きました。そのLRAは大量の子どもを誘拐し、兵士として使用した世界で「最も残酷な反政府組織のひとつ」として知られており、功績を挙げた男性兵士への「戦利品」として少女兵は扱われていたのです。


子どもを連れて帰還した元少女兵 photo by Yuki Nobuoka
(子どもを連れて帰還した元少女兵 photo by Yuki Nobuoka)

 

日本にいるわたしたちとのつながり


講演の終盤、遠いアフリカで起こっている問題が、一気にわたしたちの日常生活に引き付けられました。ウガンダにしてもコンゴ民主共和国にしても、日本にいるわたしたちの日々の消費行動が、巡り巡って遠く離れたアフリカの子ども兵問題を引き起こし、継続させている可能性があるのです。日本を含む「よそ者」による、石油権益や鉱物資源の権益争いに巻き込まれているのです。(これも今後、書く予定です)

語られていく内容に動揺を隠せないままノートをとっていたのを今でも覚えています。


 

「こんなにも理不尽な問題を、今まで自分は知らずに生きてきた」

 

という恥ずかしさと同時に「知ったからには何かしたい」という気持ちを抱きながら、お話を聞いていました。胸が熱くなっているわたしに向かって(実際は60名ほどの学生がいましたが、わたし1人に向けて言われたような感覚でした)小川氏はこう、締めくくりました。


 

「現場に行って支援を行うだけが国際協力ではない。日本にいてもできることはたくさんある」


 

「最悪の形態の児童労働」のひとつとしての子ども兵


小川氏の言葉がわたしの中で物凄く引っかかり、以来、図書館に通う日々が続きました。それほど多くはない、子ども兵問題に関する日本語の書籍や論文などを読み込んでいく過程で「最悪の形態の児童労働」という言葉に出会いました。この時、なぜわたしが子ども兵という問題にこれほど関心を持ったかが、理解できました。


子ども兵は、1999年に国際労働機関(ILO)が定めた「最悪の形態の児童労働条約によって定義された、「児童労働」のひとつなのです。この時ようやく、わたし小学3年生の時に抱いたサッカーボールの手縫いに関する児童労働への問題意識と結びついたのです。「この問題は、自分が生きているうちに解決しよう」と意気込んだものの、日本にいながらにして地球の裏側で起こっている子ども兵問題を解決する方法はそう簡単には見つかりませんでした。


そのような状況の中で、大学3年生になり授業もひと段落した時に、テラ・ルネッサンスのインターン生募集のお知らせを見つけて、「考えていても始まらないし、実際に動いてみよう」と思い、当団体 京都事務局での活動に関わり始めたのです。


 

こちらも合わせて。


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・・・・・・


認定NPO法人テラ・ルネッサンスでは、年に2回、京都事務局でのインターン生を募集しています。
なお、海外事務所のみでのインターン希望は受け付けておりませんので、ご了承願います。
詳しくは、テラ・ルネッサンス公式ウェブサイトをご覧ください。

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。


現在、国際協力NGOの職員としてカンボジアに滞在しているわたしですが、大学生時代に経験をした海外事務所でのインターンが、今の進路を決定するとても大きな要因となりました。


大学3年生を終えた4年目の1年間、休学をして認定NPO法人テラ・ルネッサンスのウガンダ事務所へ5ヶ月間、同カンボジア事務所へ3ヶ月間、派遣されました。主に、ウガンダでは「元子ども兵社会復帰支援プロジェクト」、カンボジアでは「地雷埋設地域村落開発プロジェクト」に携わり、現場での経験を積んできたのです。


そんなわたしがよく聞かれるのは次の質問です。


 


「なぜ、国際協力に関心を持ったのか」


世界で起こっている諸問題に関心を抱いた最初のきっかけは、2002年、わたしが小学3年生の時だったと記憶しています。2002年といえば、サッカー界でとある大きなイベントがあったのですが、みなさん、覚えていますか?


2002年は、日本と韓国がサッカーのワールドカップを共同開催した年なのです。幼稚園の年長から高校卒業まで、サッカーひと筋で育ってきたわたしも例外なく、日本でも試合が行われるこのW杯に、心弾ませいていたのを覚えています。特に兵庫県出身のわたしは、デイヴィッド・ベッカムやマイケル・オーウェンなど、大スターを擁するイングランド代表が兵庫県の淡路島にキャンプで訪れたことに興奮していました。しかし、そのわくわくは小学校の道徳の授業によって真逆の感情へと変わっていきました。


サッカーから学んだ児童労働


道徳の授業で知った「児童労働」


インドやパキスタン(バングラデシュだと思っていたのですが、今調べるとパキスタンでした。記憶とは恐ろしいものです)では、同世代の子ども、特に少女たちがサッカーボールの手縫いの仕事を強制されている、ということ聞いたのです。それまでは、日本で過ごしている目の前の生活が自分にとっての「当たり前」であり、世界に目を向ける機会がほとんどありませんでした。しかし、毎日休み時間も放課後も友人とサッカーボールを追いかけていた当時の延岡少年は、小学校3年生ながらにしばらくサッカーをするのが嫌になるほど強い衝撃を受けました。


自分と同じ年代の子どもたちが、「当たり前」のように学校に行って授業を受けることができず、「当たり前」のように友たちと遊ぶことができないという事実が、世界にはあることを知ったのです。その日を生き延びるために、劣悪な環境のもとで長時間、しかも安い給料で働かざるを得ない子どもが、世界には存在することを知ったのです。


 


「自分が遊んでいる大好きなサッカーボールの『裏側』では、血や汗にまみれた生活を送っている子どもたちがいる」


 


「自分が笑顔を浮かべているまさに今この瞬間には、世界のどこかで涙を流している人がいる」


 


その時に、「世界の『裏側』を無視したくないな」という想いが芽生え、世界の問題、とりわけ、同世代の子どもたちが直面している児童労働に関心を抱くようになったのです。


当時の夢は、世界一のサッカー選手になることでした。すでに引退しているヒデ(中田英寿 元サッカー日本代表選手)に憧れて、彼のようなスーパースターになって、サッカーボールにまつわる児童労働を根絶したいと思っていました。しかしながら、努力が足りず、サッカー選手への道は諦めてしまいました。


世界の諸問題に対して関心だけはあったものの、やはり目の前にある「当たり前」な生活、「便利で快適」な生活にどっぷり浸かって育ち、具体的な行動を起こすことがないまま大学生となりました。


いわゆる「普通」の大学生活を送っていた大学2年生の時、「このまま、なんとなく生きていく。こんな人生でいいのかな」と考え始めた時期でした。ちょうどその時、子ども兵という存在を知り、そしてテラ・ルネッサンスという国際協力NGOと出会ったのです。


忘れもしない、2013年11月19日(火)16:05~の90分間が、わたしの人生を大きく変えました。わたしの通う大学にて、教職課程の講義の1コマで、同団体の現理事長 小川真吾氏がゲストスピーカーとして招かれ、講演会が開催されたのです。わたしは教職課程はとっていなかったのですが、直感がわたしをこの教室へと動かしたのでした。


つづきはこちら。


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